わたしの苦しみが、赤い糸を結び、誰かの助けになること

苦しみさえ、発信すれば、リサイクルされて、誰かに届き、誰かにとっての宝物になる。

わたしは、苦しみは苦しみ、ないほうがいいものだと思っていた。でも、わたしの苦しい体験を必要とし、孤独をいやす人がいることを知った。

 

主治医には、「赤い糸は必ずある。どこにあるかはわからない。ネットを使ってみたら?」と言ってくれた。

ほかにも、依存症や、困りごとについては「工夫をすること」を教えてくれていた。

主治医も、悩みながら、自問自答しながら、わたしに言葉をくれていた。

だから、わたしに彼の言葉が響いていた。

それを伝えたら、主治医はありがとうと言ってくれた。

 

 

わたしのブログを読んで、パートナーは、気持ちが変わったといっていた。

そして、わたしのことを知り、わたしを愛して、求婚し、引っ越してきた。

わたしは、たくさんの問題を抱えていた。でも彼はそれを承知でいた。

わたしの苦しみは、彼のために必要なものだった。彼はそれを使って、死ぬほどつらい状況から逃げる力を得て、生き延びた。

わたしがただ一人で苦しんでいたら、それはただの苦しみだった。

わたしにとっては、それは経験しないほうがいいことで、ごみと同じだ。

でも、それをひとたび、表現すると、それが誰かの宝物になる。

それを受け取った人が、わたしに、「いいもの」を返してくれることもよくある。

それで、わたしは、わたしの苦しさを、耐えて、一日もう一日と生き延びることができる。

 

 

わたしが、苦しんでいなかったら、それはそれでいいことだったと思う、もちろん、そっちのほうがよかった。

でも、わたしが苦しかったから、出会った素晴らしい人、思いやり、やさしさ、苦しみに対しての知識、掘り下げた分析、そういうものも生まれた。

苦しみを避けられなかったのならば、それは自分で作った財産だともいえる。

 

 

ネット越しの人のほうが、わたしの深い部分を知っている。だから、わたしは、ネットで、知り合ったパートナーと結婚してよかった。

毎日のように、彼のことを、より深く知っている。

わたしから、ときどき、彼の欠点が見えなくなる時がある。そうすると、わたしが彼の人生を邪魔しているような気がしてしまう。

でも、よくよく見ていると、わたしも彼を助ける場面がある。

彼は、わたしを責めずに、ずっと、一緒にいて、支えてくれる。

苦しみを愛情に変えて、やりとりしている。

苦しい人生も悪くなかった、なんて、思いたくはない。思えない。フラッシュバックもある。

でも、苦しみながら、楽しい、幸せな人生を送ることができる、そういうことに希望を感じて、もう一日生きていてもいいか、とあきらめることができる。

 

 

破れ鍋に綴蓋、ということばを夫婦がいったとき、これ以上ののろけはない。

完ぺきな人同士が結婚するのではなくて、欠点がある者同士が、でこぼこをぴったりさせることで、人生の困難を乗り越えられる、お互いがどうしても必要だ、そういう事実を端的に表した、いとおしい言葉だ。