コミュニティケアの必要性について

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yk264.hatenablog.com

今、まさに、そして、今までずっと必要としてきたことだと思います。

わたしは、二十九歳で、自分の特性を知りました。

おそらく、躁鬱が発症したり、性暴力の被害者になったりしたのが、十六歳の時。

そこから、四年たって、ようやく精神医療にアクセスすることができました。

親子関係、性、そうしたことと付き合うには、十年近くの歳月が必要でした。

体調も悪く、何年も寝たきりでした。

それでも、何度も家を出ようとし。そのたびに挫折し、ということを繰り返しました。

紆余曲折あって、三十一の時に、ようやく、居心地のいい住居を手に入れました。

それでも、掃除、洗濯、料理ができませんでした。

そこで、福祉課に行き、受けられるサービスの説明を受け、テストを受け、面談をし、ようやく、支援にアクセスしました。

それまでは、みじめな暮らしをしていました。技術的には、料理はできました。

しかし、わたしは、片付けられた家に住んだことがなく、清潔な家で暮らすことが、能力的に難しい状況でした。健康が損なわれていたので、買い物に行くこともできず、だから、自炊もできませんでした。

困ったことに、買い物依存症と、過食症もわたしを煩わせました。

生き延びるために必要な逃避だったのは、当時からよくわかっていましたが、それでも、生活を圧迫しました。

ヘルパーさんが毎週来て、話してくれ、家を清潔にしてくれ、栄養価の高いものを食べれるようになって、ようやく、何かをする気力と体力が徐々に戻りました。

元気になるためには、自分の力が及ばないことをしないといけないのですが、自分では、まったくできないのです。

励ましは、実際の行動とは違います。

励ましの言葉だけでは、掃除も片付けも、終わりません。

わたしは、まず、掃除をしてもらい、片付けをしてもらい、それによって、精神の安寧を得て、そこから、片付けを学ぶ気力を養いました。それまで知らなかったんです。片付いた家が、どれだけ、気持ちの良いものか。

片付けや掃除には、理論があります。理論を実践に落とすための細かいステップがあります。

本ではそれは補えないので、手取り足取り教えてもらう必要がありました。

わたしには、それを助けてくれる友人も思いつきませんでした。

いたとしても、恥ずかしくて、頼めなかったでしょう。

他人である、行政であるかr、頼めたのです。

恥は、ときとして、人を縛り、苦しめます。

仕事としてやってもらえるから、わたしは、それが気が楽でした。

それを繰り返すうちに、わたしは、ヘルパーさん以外の、友人にも、少しずつ、頼めるようになりました。

それは、以前のように、縋り付くような、相手の生活を考えないで、自分勝手に、依存するようなものとは違い、怜栄に、依頼し、断られることを前提とした依頼の仕方に代わりました。

 

 

わたしには、限界があります。

それを認めるのには、長い年月がかかりました。

限界を超えることで、自分の能力を伸ばすことができるのだ、と教えられてきたからです。

限界を決めるのは自分だ、だから、限界を決めず、チャレンジし続けろ、というメッセージを、ずっと受け続けてきました。

しかし、もう、それは、わたしには、必要がない、害のある、メッセージとなりました。

わたしには、できないことがあり、限界があるので、それを誰かに代わりにやってもらう必要があります。

できるはずだ、と元の家族には言われていましたが、それは、間違いでした。

わたしには、できないのです。

わたしには、できない、そこからしか、始まらないことがあります。

そういったことを思いました。