いわゆるよい家の次男に嫁いだ母は壊れた

うちの父の実家は、いわゆる良い家で、祖母は、買い物に出ることはなかった。お店の人が来てくれて、部屋に反物をかけて、それを指さして買うとか、骨董商が出入りしてて、茶器を買うとか、そういう人で勤めに出たことがなかった。

祖父は、早くに亡くなったのだが、お妾さんが何人もいて、正月やらには、本妻である祖母にあいさつに来たり、贈り物を送ったり、うちの父はお妾さんにかわいがられたとか、そういう家だったらしい。

GHQで財産は没収されたものの、消費は変わらないから、だんだん没落していった。

でも、普通の家よりはお金がある。おじさんも、外に勤めにはいったことないんじゃないかな。祖父から受け継いだ会社の経営者。

 

で、父が愛人を作って、わたしが十歳の時に家出したものの、ときどき、うちに来てご飯食べたり、わたしたち家族を母を含めて、外食に連れて行ったりということを高校生になるまで続けていた。わたしは、家の外でも父に付きまとわれて、家から出るのが怖くなったりした。

祖母は、うちの母が妻としてダメだからと言って、家に来て怒り狂い、血圧が上がって、うちで倒れた。そして、わたしのことを物心ついた時から非難したり、いじめたりするわりに、祖母宅に行かないといわれた。

父は、子育ても家事も一切しなくて、「母親だし妻だしみんながやっていることなんだからできないのはおかしい」という人で、気に入らないことがあれば物を投げたり怒鳴ったりしたりして、十歳の人生でもこの人は嫌いだと思っていた。

 

で、妊娠する前からもそうだけど、いよいよ、産むということになって、父と母のことを思い出す。

母に関して同情できないことはないんだけど、わたしは、搾取される子供だった。

勉強ができるから、自慢で来たし、愚痴はわたしが全部聞いていたし、具合悪いと言ったら慰めていたし、門限は、四時だった。高校生になってもだよ!

部屋のドアを閉めることは許されず、常に監視され、早く寝ていたら、勉強をしろと田tき起こされたり、着替えやふろを覗かれるとか、寝こみにキスをされるとか、いろいろ恐ろしいことがあった。二十歳の誕生日に、幼児用の玩具を与えられたときは泣いたが、頭がおかしい、なぜ喜ばないと、ののしられ怒鳴られた。

就職もしないでくれと言われた。

それはそうと、なんで、そんなになったkというと、たぶん父は悪い、でも、母も大人だったんだから、もうちょっと自分が幸せになることを頑張ればよかったと思うし、わたしが彼女を幸せにしないといけないと思い詰めたのは、母のせいだ。

大人だから、野垂れ死のうと放っておきなさいと、戦中派の主治医は常に言ったが、「母がいかに偉大か」とカウンセリングのたびに言いながら号泣していたわたしの耳には届いたのか届かなかったのか、捨てるのにそれから、十年近くの歳月が必要で、自分として生きるのには、いまだ至っていない。

いまだに父と母の影響下にあるため、真の自由は獲得していないという忸怩たる思いのまま、わたしは母になる。

いまだ母を呪い、思い出し、父を呪い、思い出し、生活の中に呪詛がある。

その呪詛を消化しきらないと、つまり、彼らを呪い切り、嫌いきり、人生の中から消去したとき、ようやく、わたしは解放されると思っているのだが、その日はなかなか来ない。

来ないために、折り合いをつけながら、生きている。

 

わたしは、子供を愛せるだろうか。