子供に望むもの

今や、胎動を初めて感じた頃が懐かしい。

おなかがぐるぐるしているのかな、と思っていたら、それは胎動だ、と先生に言われてからは感動した。面白かった。

エイリアンが生まれるみたいな気がした。中が見えないから、目が三つあるこだったらどうしようとか、そういうことを考えた。

自分の思い通りにならないから、他人だとはっきり分かった。

そのころストレスがあったせいか、しょっちゅうおなかが張った。

解決したら、散歩にも行けるようになり、つわりがひどくて、体重も増えなかったので、体重管理は楽だった。

いつもぐるぐるめまいがして頭が痛くておなかが痛くて、吐き気がして、ちょっと何かあると吐いた。頓服で出ていたソラナックスを飲むと、少しましになるので、精神的なものも大きかったように思う。

あと、二週間で生まれる予定日だ。でも、もう、早く生まれてほしい、会いたい、ということを必死に呼びかけている。パートナーには、「呼びかけ方が足りないんじゃ」と言って脅して、声かけをさせている。

 

子供に望むことといったら、できれば、わたしが死ぬまで生きていてほしい、死なないでほしい、ということだ。

贅沢を言えば、五体満足で、障害がないといいなと思うものの、それは、まあ、我々の力ではどうにもできない。

 

 

理解できないのは、子供に孫の顔を見たいという人や、LGBTsだったらショックを受ける人たちだ。

子供の人生なのに、どうして、それに対して、ショックを受けるのかさっぱりわからない。

 

わたしの母は、「いい成績を取らないと苦労する、あなたのために言っている」「墓守をしろ」ということを言っていたけれど、それも今となってはなぞだ。墓守については、自分が死んだ後のことまで、よく、人に押し付けられるな、そして、心配できるな、死んだら終わりじゃん、と思う。

いい成績を取るように言うよりは、自立できるようにサポートしてくれるほうがありがたかったし、自立できないように足を引っ張るのは、よくわからなかった。

子供を自分の勲章にするために、何かする親のこともわからない。

自分で自分を自慢できるようにしてればいいのだから、子供に投資するより、自分に投資したほうが、お互い楽だし、そういう姿を見せることのほうが、いい影響があるように思う。

相手に望むよりも、自分がどうにかなるほうが楽だ。

 

 

孫が見たい、というのもよくわからない。そりゃ、赤ちゃんはかわいい。

でも、子供が産める条件を持っているかは、その子供によるし、そもそも、意思がなければうまくいかない。そんなのは、子供の選択だ。

男子だったら、そもそも産めない。男子が、パートナーを得て、さらにそのパートナーが、子供を産んでくれるというハードルを越えなければ、孫には会えない。そして、わたしの考えだと、子供は、母親に属している。

男は、ティッシュに出してたものを、膣に出しているだけで、体の変化もなく、ただ、普通に過ごしているだけで、赤ちゃんを手に入れることができる。

その点、母親になる人は、体が変化し、精神も不安定になり、かけがえのない健康をギャンブルに差し出し、そうして、ようやく、痛みや不快や不安に耐えて、子供と対面する。その間男ができるのは、サポートだけだ。それもしない男だっているというのに。

 

 

 

血がつながっている子供じゃなくても、赤ちゃんはかわいい。ぴかーと後光がさして見える。光ってる。産婦人科で生まれたての赤ん坊を見て、そう思った。

光っている。

だから、孫じゃなくても、他人の子でも、かわいがりたければ、かわいがればいいと思う。

実際、わたしの周りの人は、わたしの子供を楽しみにしていて「子守をしたい」と熱烈に訴える人も多い。それまで、それほど親しくなくても、目の色が変わっている。

「もう産むのは嫌だけど赤ちゃんは見たい。世話をしたい」という要望はある。

もちろん、わたしは、やぶさかではない。

そういう感じでいいんじゃないだろうか。

 

 

わたしは、子供が大きくなって、借金まみれになったときとか、鬱で会社を辞めたときの対応とか、そういうことのほうを考える。

若いうちに妊娠したときのサポート体制とか、重い障害があったら、二十歳くらいにグループホームや施設を探して、わたしたちが死んだ後も生きられるようにサポートしたいな、とか、そういうことばっかり考える。

それも、悲観的な気持ちじゃなくて、わくわく考える。そうなっても、生きていてほしいな!という気持ちだ。

 

 

だから、子供が就職して、結婚して、子供をもって、というようなことを当たり前だと思っている人がいるみたいなのを知るたび、「すげーな!」とびっくりする。

 

 

子供っていうのは、存在しているだけで光って見える。

若いだけでかわいい。

わたしたちは、若いだけでかわいい時代が終わりつつあり、でも、八十歳になるまでには、四十五年くらいまだあるので、若さ以外の素敵な部分を獲得できるし、それがまだない子供たちは、がんばってね、と思う。

若さ以外の素敵な部分をお互いにわからないのは、しんどいから、そういうのを探したい。そして、子供のすばらしさを受け取るからには、そういうものを手渡せるようになっていたいなと思う。

 

 

それにしても、子供に早く会いたいな、どんな子なんだろう、できたら育てやすい子がいいけれど、そうじゃなくても、死なないでくれたらうれしい、ありがたい!

自分の子はひときわかわいいというけれど、それも本当かどうか、検証したい。

エコーの時点で、うちの子は、素晴らしくかわいいと思ったけれども。