牛乳石鹸CMのアイデンティティ崩壊

あのCM,怖い上に長い。

それはそうとして、それを擁護している人の話、ちらっと見たんですが「完ぺきな人間はいないから、たまに逃げてもいいじゃない」みたいな風に書いてあった。

CMの言いたいことはわかる。

わかるけど、じゃあ、そういう人には結婚しないでほしいって思う。

ごみは、家族全員が出すじゃない?子供がいたら、その分も出るでしょう。

そしたら、それは、大人の責任として、出さないといけない。

それに不満を持つ人は、自分の責任を果たす気がない、つまり、大人として成熟してない、ということになる。

 

やりたくなければ、やらなければいい、という人もいるけど、やりたくないけど、やるしかない人がいるから、それができるのである。

妻が、家事育児をしているから、夫は連絡なしに飲みに行っても、整えられた食卓も、片付けられた家も、死んでない子供も、温かいお風呂も得られる。

妻だって、嫌な日もあると思うよ。でも、夫に連絡なしで、飲みに行って帰ってきたら、下手したら子供が死んでるかもしれないし、家は散々な有様かもしれない。それは避けたい、と思えばできない。

夫は、子供が死んでもいいし、家が火事になってなくなっててもいいとまでは思っていないよね、あれね。

そういう、誰かに、対等であるべきパートナーに甘えてできるアイデンティティ崩壊は、そんなのアイデンティティ崩壊と呼んでもいいのか、単なる遊びじゃないか。

 

 

同じように妻も、アイデンティティ崩壊したり、逃げたりする余裕を持たせてるのかというとそうじゃない。ごみを捨てるだけ(というか、ごみを出すだけだよね、あれ正確にいえば、だって、まとめるところからやってないものね、ごみ出しといえば排水溝の掃除まで含むと思うけど)でアイデンティティ崩壊できるのは恵まれているよね、その恵みは、妻がおぜん立てしたものだよね、という話はできると思う。

 

 

誰だって完ぺきじゃないけど、妻だってもちろん完ぺきじゃない。でも、妻が完ぺきじゃないと、成り立たないくらいのスタートからのアイデンティティ崩壊だから、批判されてるんだと思うよ。

そんな、ひ弱な心のままで、それまで生きられたのは、誰のおかげかということを考えたら、やっぱり、いろいろ子供のころから男だということで免除された歴史があるからじゃないですかね。その免除は誰かの労力や犠牲の上で成り立っているんですよ。

それを見ないで「誰でも完ぺきじゃない」というのは、甘えすぎでは?

 

だから、擁護している人こそ、「くそじゃな」と思います。

ああいう父親を肯定しているわけじゃないのはCMの雰囲気からわかりますけど、でも、あれはないよね。だって、許しているもんね。そういう日もあるよねということを。

 

 

男が悩もうと何しようといいんだけど、連絡なしに家庭をほっぽり出せるのは、妻がやりたくなかろうがなんだろうが、家事育児をしているから。

同じタイミングで、妻が連絡なしで飲んでるかもしれないとか、ちっとも考えないからできるわけ。

そのうえで成り立つアイデンティティ崩壊を、刺さる!という話を、妻側からすると、刺さるも何もねえ!人の労力を泥棒するな、という話になる。

人の家庭内労働を、盗んでいるわけですよ。自分の感情のために。

 

それって不平等だ。妻だって同じくらい子供に戻りたい日もあるだろうけど、それに協力しているように見えないもん、あの夫。

 

子供がすでにいるのに、自分がもう子供じゃないから、何もかも免罪して許される存在じゃないということに、嫉妬しているように見える。

やっていることは、妻をお母さんみたいにして、そのお母さんからしてもらえることを競っているのと同じだよ。

だから、自分の子供の誕生日を、主体的に祝えない。言われたからいやいやする。

自分が子供じゃないことを認めたくないから。

 

だから、自分の子供のころを回想するんじゃないのかと思う。

 

自分が子供のつもりだから、子供の立場を取り合いたいのに、なんで、自分ばっかり、って思ってる。ちっとも優しくないのに、自分では優しいつもりでいる。

そういう、認識のずれみたいなものから、ずれたアイデンティティをもって、生活しているのはやっぱり不気味。