昨日のあの子にはもう会えない

モモという話の時間の花をご存じでしょうか?

こんなに美しい花はない、と思うと散り、でも新しい花が咲くと、やはり、こんなに美しい花は見たことがないと。
とてつもない喜びと去り行く悲しさ。


それを子供にも感じます。


昨日のあの子にはもう会えない。
新生児の頃のあの子には会えない。


おなかを開いたまま、はじめてみた我が子は光輝いていました。
その印象が強く、新生児の頃がかわいくて仕方がなかったです。

日に日に大きくなり、できることも増えました。
でも、心が追い付かなくて、今日の子はこんなにもかわいい、でも、昨日のあの子には会えないと思うとなんとも胸が苦しくなります。


一日一日がかけがえがなくて、二度と来ないということが身に染みます。


ときには保育園に預けることがとてもつらいです。
子供は靴下を履かせると、これからお外、保育園に行くんだとわかるらしく、あしをばたつかせて喜びます。
そうすると、わたしも嬉しいのです。
ああ、この子の喜ぶことをしたいと思います。
でも、もっと一緒にいたい、ずっとこの柔らかくて暖かくていいにおいのするこの子と時間を過ごしたいと胸がぎゅっとなります。


保育士さんはとても良くしてくれ、子供が嬉しいこと、わたしが機嫌よく、健康なことがなによりも大切で、夫婦仲がよいことが子供の幸せと直結することもわかっています。


でも、わたしはちゃんと子育てしているのか、忸怩たる思いがあることも事実です。

保育園に預けて、子の健康と安全を確保することが、母として親として責任を果たすことであると保育士さんにもいってもらいました。
誰にでもにこにこ笑い、いつも機嫌よく生活している子の状態は、社会含めて、みんなが作り上げてるものだと思います。


親になるのは、喜びと離れていく寂しさのなかで、繰り返していくことなのですね。
欠けることのない幸せだとわかっているのに、もっともっとと思ってしまうわたしがいます。